NZ Wine Column
ニュージーランドワインコラム
第128回コラム(Mar/2013)
酒類販売法
Text: 金澤睦実/Mutsumi Kanazawa
金澤睦実

著者紹介

金澤睦実
Mutsumi Kanazawa

子育て、親の介護を卒業し、目下、第2の青春を逆走暴走中。2010年9月に永住目的でNZ在住開始。ワインに関しては100パーセントの消費者です。学生としてナパ在住中は自称「ワイン愛飲学専攻」。ご招待を頂いた時以外は、高級ワインにはとんと縁はないですが、「皆勤賞」をもらえる程のワイン好き。食事とワインを片手に、友人たちとの時間を楽しむ事にかけては専門家です。ニュージーランド初心者の目で見たワインに関する発見と、ワインとKiwiの人たちの生活について、自己学習のつもりでのコラム投稿を企てています。

この著者のコラムを読む

更に表示

以前日本に住む息子が遊びに来たときに、身分証明書を携帯していなかったため、ビールが買えず、腐った顔で戻ってきたことがありました。こちらでは以下の写真のように、25歳以下に見られたら、身分証明書の提示を求められます(現在法律的に飲酒できるのは18歳から)。「私にも提示を求めて!」といつも密かに願っているのですが、残念ながらそういう機会はないようです。

減少傾向とはいえ、路上にアルコールの自動販売機が設置してある日本の状況を見て、日本に来る外国人は驚きます。こちらではアルコールの自動販売機はありません(キャンディーや水の自販機は見たことがあります)。さぞかし酒類に対する法律は厳しいのだろう、と想像していましたが、どうやら相反する現状があるようです。

西オークランドはドライ・エリアで、スーパーマーケットで酒類は購入できない、ということを以前のコラムでも書きました。隣の酒屋のおじさんと仲良くなった主人が、「この辺だと葡萄の栽培やワイン造りをしていれば、酒類販売の免許がなくても販売可能らしいよ」との情報を仕入れて来ました。その証拠に、散歩の途中で、どう見ても普通の家としか見えないところで、もう半分はげかかった「ワインあります」の看板が。恐る恐る、主人と入って行きました。もう味も忘れてしまいましたが(決してもう一度買おう、と類いのものではありませんでした)、確かにワインを売っていました。そして、その家の裏には、小さいブドウ畑が。

2011年の世界保健機構(WHO)の調査では、酒豪国は主に北半球(特に寒い地域)の大半と「南半球ではオーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチンもそれに劣らない」としています。大人一人当たりの年間酒量順位では、ニュージーランドは51位で日本は70位でした。そんなニュージーランドにも禁酒時代があったのはご存知ですか?

そもそもニュージーランドは新天地として開拓され、最初に移民としてやって来たイギリス人たちは、荒地を開拓し、肉体労働の後のビールをこよなく楽しむ人々でした。その他の国々からの肉体労働者たちが来るにつれ、先住民のマオリなどが住む場所を分かち合う機会が増えるにつれて、摩擦が生じ、喧嘩、暴力、犯罪などが増えていきました。禁酒時代というと、アル・カポネ、密造、組織的犯罪という、生々しい犯罪史上が脳裏に浮かんでくるのはハリウッド映画の見すぎかもしれませんが、現実としてアルコールを端とする悲劇が多くあったようです。

ご存知の方も多いでしょうが、ニュージーランドは1893年に、世界初の女性参政権を勝ち取った地です(ちなみに日本は1925年)。そのせいか女性の意見は当然のように平等に尊重されるお国柄です。禁酒運動を主に推進したのは女性でした。荒らくれ者たちの他に新天地へ敢えて来たのはキリスト教の宣教師たちでした。家庭内暴力や犯罪に憂いを抱く女性と、飲酒が信仰の教えに反すると説く人たちが、アルコール追放が問題最良の手段、と思いつくのもさほど過激な結論ではないように思われます。また社会的にも飲酒の習慣が悪だとする考えが伝播し始め、かなりのアンチ・アルコール運動が19世来後半から20世紀初頭まで続きました。故郷のヨーロッパではワインは食事を楽しむには欠かせない文化を待つダルメシアンを始めとするその他の移民や、ワイン造りが生活の糧となった人たちにとって、社会現象としての禁酒運動は、ビジネスを破綻に追いやる危険性をはらんでいました。

そこで、以前お伝えしたコーバン・ワインのアシッド・コーバンなどが率先し、反禁酒運動を引き起こしました(写真の小屋は、鉄道を隔て禁酒区域となってしまった彼のワイナリーで造られたワインを売れるように、酒類販売可能地域に「出店」を建てたものです。)第2次世界大戦後はヨーロッパで参戦をし、ワインの味を知ったニュージーランド人影響もあり、やがて飲酒は疎まれるものから、奨励されるものとなって行きました。

話を地元の西オークランドに戻します。ここは、ニュージーランドで唯一、スーパーマーケットでの酒類販売が許されていない地域です。今では慣れてしまいましたが、移住した当初は、日曜日の夜にワインが買えなかったり、酒屋を求めて車で地域外の町まで走り回ったり、何と不便な法律なのだ、と不満に思っていました。全住民が必ずしも、下戸であるわけでもなく、どうしてどうしてこんな不便なことしているのか、と当然疑問に思っていました。これでも今は以前より、ずっと便利になったようです。というのも、1972年まで、西オークランドでは酒が飲めるパブや店舗も存在しませんでした。その年の住民投票でワイタカレ市(現在はオークランド市)はこれまで通りドライとするか否かを住民に問いました。その結果酒類の販売、供給を担当するライセンス・トラスト(酒類販売の権利を持つ法人)を設置することになり、そこが酒類販売を統括することになりました。めでたく、限られた場所ではありますが、お酒が手に入るようになったとのことです。

こういったトラストが最初に創設されたのは南島のインバカーギルで1944年のことです。これまでに28のトラスト作られましたが、現存は19です。オークランドでは私の住む西オークランドとポーテージの2箇所だけになってしまいました。参政権を持つ住民が半数以上賛成すれば、西オークランドでもスーパーなどでお酒が買えるようになるらしいですが、トラストは売り上げの何パーセントかを地元に還元していたり(大規模なスポーツ施設や学校の備品の寄付、小額の寄付で新生児のベビーカーシートや、全住民へラジオ付き懐中電灯の授与など)、アルコールがらみの社会問題を避けるためにも、どうやら住民はある程度の不便はあっても現行維持をしているようです。

平等、個人主義といったことが非常に大切な価値とされているニュージーランドだからこそ、二つの対立する考えが存在した場合(そしてそれが政治的な力を持つ勢いがある事柄ならなおさら)、中庸を取って、双方が満足とは言えずとも、「公平」な解決策を創造するのがお得意のキウィのやり方で、それがこの複雑な禁酒と飲酒習慣の解決法だったようです。

2013年4月掲載
SHARE