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「ニュージーランドに住むぞ」、と言われた時、オークランド市内まで数分の地が拠点だったので、ここなら住める、と思ってしまったのが間違いの始まりでした。それなのに、或る日突然、同居人はヘンダーソンという所に家を購入する事を決めてしまいました。しばらく永住の覚悟がつかないでいる時の最終的な決定打となった落とし文句は、「ワイナリーがあるところ」との悪魔のささやき。でも、後に現実と違う事に気づいてパニック。ニュージーランドの英語はかなり「訛り」があるのは有名ですが、このヘンダーソンという名前も私の耳には「変だぞ」と聞こえ、未だに謎ときの行脚をしています。
オークランドの中心地から、20キロほどにあるヘンダーソンは、1960年ぐらいまではオークランドのワイン畑と果樹園の80%がこの地に集中するほどのワインカントリーだったそうです。現在は、新興住宅地と化して、ワイン片手に、デッキで田園風景を見ながらの夕食を夢見ていた私は、それが妄想だったことがほどなくわかりました。
それだけでなく、ここには美味しく、コストパーフォーマンスがよいワインを販売する店がないのです。ヘンダーソンは「dry area」のため、周辺のスーパーでのアルコール販売が禁止されています。しかも、地元の酒屋で購入できるワインの種類は極めて限定されているおり、しかも価格も高めです。都心では多種多様な選択肢から毎日、胸がときめくようなワイン購入が可能ですが、ワイナリーが近くにあるからと言って、美味しいワインが楽しめると思っていた私には大いなる計算違いに愕然としました。そうだ、同居人はイギリス出身だから、ワインよりビール党で、当然ワインの違いは赤と白ぐらいしか知らない、ということを思い出し、真っ青になりました。
ほぼ毎日買い物の道すがら所に、Corban Estate Arts Centre (CEAC)というところがあります。ワイン音痴の同居人曰く、ここが昔大きなワイナリーだった、とのことです。時折展覧会や文化紹介のイベントや絵画教室などがある事は知っていましたが、「ワイン作っていないなら、関係ない」と中まで入る事はありませんでした。
こんな田舎にまで来て、まともなワインが飲めない、と永住を決めて来たはずなのに荷物をまとめて日本に戻ろうか、と冗談半分で思い始めたある日、そのCEACで、コーバン家の歴史紹介の後にワインが飲める一石二鳥のイベント(Art Speak & Wine Tasting)が催されると聞きました。同居人のガセネタ情報の信憑性について何か分かるかもしれないと、取りあえず帰国はやめにし、「ワイン愛飲学専攻」を復活する事にしました。
10月後半の或る日、こういった会合には不慣れな私たちはいつものように普段着で出かけてしまいました。一抹の不安を感じながらも周りを見渡すと、「やあ、ブライアン元気?」「こんばんは、ジム、久しぶり」というようなファーストネームでのやり取りがあちこちで聞こえ始め、私たちの場違い度が一気に上昇してきました。どうやら、参加者の大半は、顔見知りのようでした。その人たちが、ひとしきり近状報告交換をしつくした後、予定の時間をかなり回って、司会役の男性が、開場の前に進み出て、簡単にこのイベントの趣旨を説明しました。
コーバン・ワインの創始者がこの地にワイナリーを始めたのが20世紀初頭、それ以降コーバン一族は、ワイン産業を育成するために法律改正やワイン作りの改善を重ね、1920年代後半にはニュージーランド最大のワイナリーになりました。残念な事に、度重なる買収劇の結果、コーバン・ワインの商標は外国企業に渡ってしまいました。
創始者の五男(ナジブ)を父とするブライアンが父のワイン作りにかける一生を解説し、地元住民と地場産業の発展のために身を粉にして働き、革新を常に心がけた仕事の鬼でもあったが、家族思いで、地元の発展にも努力する人間だった、とまるで弔文の響きの言葉を並べます。それもそのはず、今回のイベントの中心となったのは「The Vigneron」(「ブドウ栽培者」の意味)プロジェクトで、これは前述のナジブ(2009年4月没)の生誕100年を記念したものでした。残念な事に誕生日の2カ月前の死で、彼はそれを見る事はなりませんでしたが、彼の生涯とコーバン一家の功績をまとめ上げる作品を作り上げる機会となったようです。
The Vigneronは、同名タイトルの小冊子にコーバン家のワイン産業への貢献を、ナジブの詩と、実際にワイン作りに使われ、使い続けられた古い道具の写真などで象徴的に描き出されています。また、コーバン・ワインの創設100周年を記念するために、生前、ナジブがホークス・ベイのナタラワのブドウ畑に自ら苗を植えたブドウから作られた限定100本のマグナムワイン(ナジブが日頃詩を書き残した黒板を彷彿される手書きのナンバー入りのラベルつき)と木箱も併せて展示されていました。ナタラワ・ワイナリーはアーウィン・コーバン(創始者から4代目)とブライアン(創始者の孫)が経営するコーバン家の再出発とも言えるものです。The Vigneronは、「コーバン家だけでなく、ワイン製造者達への祝いの言葉でもある」とプロジェクト担当となったベン(ブライアンの息子)はかなり強いKiwiアクセントで説明をしました。この夜は、ア-ウィンの登場も予定されていたのでしたが、中国での会社設立のため不参加とのことでした。
何も知らずに参加したイベントで、生存するコーバン家の主要人物に会えたのですが、それが理解できたのは、イベント参加の数日後でした。その夜のイベントは、本来ならナジブを囲み、直系、拡大家族が集う誕生会となるはずだったでしょうが、さすがに場違いを感じた私たちは、出来るだけ小さく、おとなしくしていた(つもり)です。
コーバン家について調べているうちに、「ファミリー」と「コミュニティ」という言葉を何度となく耳にしました。家族を大切に、そして自分の地域をより良くしていく、という本来だったら常識ですが、この「変だぞ!(ヘンダーソン)」には大都市に住んでいると忘れがちな概念を実行している人たちが住む所なのだ、と開眼しました。
そんな時に、同居人とヘンダーソンからさほど遠くないクメウのワイナリー訪問をしました。祝日だったので、目当てにしていたワイナリーが軒並み休業で、偶然に訪れたのはジェイソンとウェンディ夫婦が経営する小規模のKerr Farm Vineyard。20年ほど前に葡萄畑だった土地を購入し、夫婦が主となり年間で2000-3000ケース程のワイン作りをしています。そのため、特定の酒屋やレストランでないとお目にかかれないワインとのこと。訪れた朝、ワイン畑が見渡せるくつろげる雰囲気の家族の居間のような場所で、オーナー自身が私たち二人のためにテースティングをしてくれました。「他のワイナリーでは、いろいろな場所のブドウをブレンドしてワインを作っているが、僕たちはクメウの自分たちが作ったブドウだけを使ってワイン作りをしている」とKerrのこだわりを披露してくれました。テースティングには、つい最近リリースされたばかりのワインから、夫婦の母親の名前を冠した限定版のワインまで、それもかなりの種類を試させて頂き、やっと日頃の安ワインとは大違いの味と美しい色のワインたち、そしてそれぞれストーリーのある個性あるワインに出会う事が出来、ニュージーランドに来て最良の日となりました。
また、Kerr夫婦のこだわりには、仕事を終えた夜や週末に、テースティングルームからも見られる庭のピザ釜を囲んで、暖を取りながらワインとピザを近所の人たちと楽しむことだそうです。「君たちもどうぞ」とお誘いまで頂く事が出来ました。
ここで頂いたロゼは、これまでロゼはジュースの延長、との偏見を持っていた自分の間違えを発見。ちなみに、日本をはじめ、数カ国にも個人的な販売をしているとのことです。